さくら・新緑・つつじ祭り
●御田植祭…4月3日 ●水分神社
水を分配する神、つまり農耕生産神である水分神社神前で豊作を
祈願する田植際です。
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花供会式
…4月11・12日 ●蔵王堂
蔵王権現の御新木である桜の満開をご報告供養する行事で大名行
列などで賑わう。
●吉野神宮春の大祭…4月第3日曜日
鮎釣り・避暑・水泳・梨狩り
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蓮華会(蛙飛び)
…7月7日 ●蔵王堂
昔、蔵王権現の神力を悔り蛙の姿となった男をもとの人間に戻して
やったという伝説にもとづき行事が行われる。
(6日前夜祭には各地から踊子が集まり蔵王堂境内で賑やかに民謡
盆おどり大会がくりひろげられます。)
●天満宮夏祭り…7月24日
紅葉・松茸狩り・栗ひろい
●吉野神宮秋の大祭…9月27日
●秋祭り太鼓台…10月第3日曜日 ●全山
吉野全山をあげての秋祭で下、中、上町三台のふとん太鼓が参
道を練歩く。
雪景色・ぼたん鍋・樹氷
●初詣…元旦 ●各社寺
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節分会
…2月節分の日 ●蔵王堂
「福は内、鬼も内」と全国から追われた鬼を温かい手
でむかえてやる鬼火の祭典です。道を練歩く。
上市の初市
元々吉野川の中州にあり、蓮如上人がこの地に御坊を建てられ、市場として発展したのが
上市。商売の神様「戒神社」奉り江戸時代も栄えたが、1674年の大洪水ですべてが流れ
たが、この「戒神社だけを北岸(今の下市)に移し、その後も年間六斎市として栄えた。
その中でも1年の一番最初の市は「初市」と呼ばれ賑わったとされ、今では2月14日に行
われる「初市」だけが残っている。 この日は、上市中が縁日と化し近郊からもたくさんの
人で賑わいます。
花供会式
毎年4月12日・13日の桜満開の吉野山で行われる行事。正式には
花供懺法会(せんぽうえ)
といい、桜花の見頃となるこの時期に、吉野全山の桜を本尊・金剛蔵王権現にお供えする
という、花の吉野にふさわしい行事です。懺法会とは個人または人間全体の罪を諸仏の前
で懺悔する法要です。当山の花供懺法会は蔵王権現に桜花をお供えして法華懺法の法要を
修し、人々の罪を懺悔するという儀式です。当日は両日とも午後1時より十万石の格式を
もつ奴(やっこ)行列を先頭に、一山僧侶・稚児・山伏・信徒らが行列を整えて竹林院から
蔵王堂まで練り歩きます。その様は桜花絢爛に競う花の吉野山ならではの古式ゆかしい花
絵巻といえます。そして蔵王堂で法要を営んだのち蔵王堂境内において、採灯大護摩供を
厳修し、その後
「千本づき」
でついた餅が参詣者にまかれて終わります。
蓮華会
7日は開祖役行者の縁日であり、当山においては特別な日です。特に7月7日には、役行者
が産湯を使ったと伝えられる大和高田市奥田にある弁天池の清浄な蓮の花を蔵王権現に供
える蓮華会が営まれます。 この蓮華会はまた
「蛙飛び行事」
と呼ばれるユニークな行事
と共に営まれ、吉野山全体が活気づく夏祭です。
「白河天皇の延久年間(1069-1073)高慢で神仏をあなどっていたある男が金峯山へ登り
蔵王権現や仏法を謗る暴言を吐いたところたちまちその男は大鷹にさらわれて断崖絶壁の
上に置き去りにされてしまいました。さすがにその男も後悔し、ふるえあがっているのを
通り合わせた金峯山の高僧が憐れに思い、その男を蛙の姿にかえて助け出し、吉野山へ連れ
て帰って蔵王堂で一山僧侶の読経の功徳によってもとの姿に戻したのです。」…これが蛙
飛び行事の由来です。
当日7日は午前11時頃、山伏と信徒総代の一行が大和高田市奥田の弁天池で蓮の花を採取し
六田の初花権現に参拝したのち、下千本のケーブル山上駅に帰着します。一方、大蛙を乗
せた太鼓台が若衆連に担がれて午後1時頃、上千本の竹林院前を出発し、威勢よく山内の
町並みを練りながら下り、ケーブル駅前で一行と合流します。そこから蓮華御興を中心に
行列を整えて午後3時頃蔵王堂へ繰り込み、法要の後、大蛙はめでたく人間の姿にもどって
幕を閉じます。この日は、子供の蛙御興もでて、山内は蛙一色でぬりつぶされます。
トワイライトコンサート
毎年10月の第3土曜の夕暮れに 、上市の中央公民館で開催されるコンサート。今までに
京都フィルハーモニーのクラシック・プカソンコのフォルクローレ・マリオネットのポ
ルトガルギターのコンサートを行っている。
鬼火の祭典
ここ金峯山寺の節分は珍しい。節分には全国の鬼どもが集まり、この大伽藍で荒れ狂う。
そして、世間一般には「鬼は外 福は内」というかけ声が、ここでは「福は内 鬼は内」
といって豆を投げつける。
国栖奏
応神天皇が吉野に行幸した際、国栖人がやってきて歌舞で迎えたのが「国栖奏」の始ま
りとされている。天武天皇の別名「浄見原」という名の神社で、毎年旧正月14日に開
催されることから、壬申前夜の吉野と大海人皇子の関係を現しているとの見方もある。
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