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桜の名勝地で知られる吉野山は、吉野から大峰山山上ケ岳にかけての一帯を金峯山 (きんぷせん)と称し古代より世に広く知られた聖域でありました。 この金峯山に白凰年間(7世紀後半) 、修験道の開祖役行者(えんのぎょうじゃ・諡号神 変大菩薩) が修行に入られ、一千日の苦行の末、修験道独特のご本尊金剛蔵王大権現 (こんごうざおうだいごんげん)を感得されました。そしてこの姿を桜の木に刻んで、 山上ケ岳(山上蔵王堂)と山麓の吉野山(山下蔵王堂)に祭祀されましたのが、金峯山 寺の始まりと伝えられています。 それ以来、金峯山寺は修験道・山岳信仰の根本道場として栄え、平安時代には 金峯山詣(御嶽詣ーみたけもうで)が流行し、鎌倉時代末には後醍醐天皇が南朝を営 まれるに及んだのです。 江戸期になると、庶民の信仰が盛んになり山上参りの講 が各地に組織され、沢山の人々が訪れますが明治維新後、一山は大法難に襲われ、 維新政府は神仏分離を断行して修験道を禁止するに至り、寺内の寺々が取り壊さ れるなど未曾有の大打撃を受けたのです。 明治19年羽黒山や英彦山など日本国 中の多くの霊山が神社化した中、奇跡的に金峯山寺は天台宗末の仏寺として復興 します。第二次大戦後の昭和23年、金峯山寺は修験道本来の姿に立ち帰るべく 天 台宗から独立、金峯山修験本宗を立宗し、そして在家信仰の実践を推し進める新し い修験本宗の総本山として今日に至っているのです。 |