日記から戻る


☆- MyDiary -☆

2002/11 << >> 2002/09

[ 親切(しんせつ) ]
人情の厚いこと、行き届いて丁寧なこと。と訳されています。
人は皆この親切心は持ってます。 しかし本当の「親切心」とは、人のことを「させて貰うた」「させて頂いた」と言う思いだと考えます。 ウッカリすると「してやった」「して上げた」と思い勝ち、後に不平と不満が出てくる。これは本当の親切にはなりません。世の中の仕組みは、みな人の事して我が身が成り立っているのです。「人」と言う字の短い方の心になりましょう。
これが本当の親切では?
2002/10/31(Thr) 晴れ


[ 節(ふし) ]
木には生き節と、死に節があります。 私達にも社会にも、色々な節があります。 悩む事はみな節です、その悩みを通して新しいものが見いだす契機とする、これが生き節です。
磨けば光輝きます。今の社会は、その事柄の解決を急ぎ、先見の明に乏しく、そこから何かを産み出そうと言う気力が少ない?
だから死に節のようにポッカリ穴が開く。 同じ事の繰り返し。これでは世の中何時までたっても治まりもなければ、幸せも見えてこないと思います。
2002/10/30(Wed) 晴れ


[ 欲の使い分け NO2 ]
一人は「物欲のこと、藩の財政を潤すために、年貢の厳しい徴収が肝心」と言うこと。 他の一人は「国を平和に治めるには民を幸せにしたいと言う君主の大望の事」と答えた。と言う話をある冊子で読んだ事がある。
同じ欲でも考え一つで大きく変わる。 如何に考え方が大事か?
使い分けが大切か。 腹八分目に医者いらず、欲もまた然り。
自分の主張を「ガン」として曲げないのも欲の一つ?では。
お互い年寄りは気をつけましょう。
2002/10/25(Fri) 晴れ


[ 欲の使い分けNO1 ]
欲のない人は一人も有りません。求めるものに違いはあれ、皆持っています。 又当然の欲?が無ければ生きてはいけません。
昔、ある城に二人の侍が仕官を願いでた、殿様は二人に「当家には、「欲」は政(まつりごと)の要と言う家訓が有る、(それはある種の欲は藩を治めるに必要)と言う意味だが、その欲とは何と思うか言い当てた者を召し抱えよう」と言われた。さてこの答えは如何に?(つぎに)
2002/10/24(Thr) 晴れ


[ 公害の思案 ]
この間、ゴミを拾って(小さな紙屑)溝に捨てた、顔を上げると隣の主人が見ていた。シマッタと思ったが後の祭り!
誰でも同じ、こんな事くらい?と思う些細なことが、公害の元になって行く。日常の中でこんな事はいくらでも有る。
田舎は荒れた田、畑が増えている、草刈りはするが、焼く事によって有る程度根も枯れる。 ダンポール箱などを燃やして焼く、これも公害に繋がるのか? 日常茶飯事の中に一つ一つの思案が大事、近ごろ悩む一こまである。
2002/10/22(Tue) 晴れ


[ 犯罪 ]
法律に反する行い、と簡単に訳されています。 しかし人の道、道義に反する行為は犯罪と言えるのではないでしょうか?
そうした行為を「自制」出来るのが人間です。いわゆる「理性」です。近頃はその理性のカケラも感じられない、全く自己本位、得手勝手な犯罪が多い様に思います。 そんな中で「死刑廃止」?論は如何なものでしょうか!死刑良いとは言いません、その動機による事を余程考えねばと思います。世間が死刑当然と考える人は? 議員連盟の先生方よく考えて頂きたい。それよりも裁判をもっと短くしませんか?
2002/10/21(Mon) 雨


[ 国交 ]
国と国とが仲良くおつき合いする事ですが、身近に我々の事を考えても、あまり心の通じにくい人とは繋がりません。
今日本が直面している相手はどうでしょう? 解らん中にも一連の事柄を思えば、信用はできない様に思います。小泉さん以下、それに携わる人々は、先見の明を持ち、毅然とした態度で臨めますか?ウッカリすると利用されるだけ!となるのでは?
馬鹿な人間の心配です。
2002/10/18(Fri) 曇り


[ 先見の明(せんけんのめい) ]
物事が起こらない前にその事を見抜く知恵と有ります。
棋士は「何十手も先を読む」と聞きます。俗に「手の内を読む」悪い言葉では「腹をさぐる」と言うのもあります。
この様に先を読むには、学問が大事、いや経験が大事、とよく言われますが、両々相まって成功するものと思います。
論語に「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」とあります。
知恵の有る人は流動的で、人に合わせるゆとり有る。仁者はゆったりとして、少々の事には動じない。これが学問と経験の違いでは?言いたい事は、政治や外交に生かして欲しい。
2002/10/14(Mon) 晴れ


[ 他人(たにん)の意味 ]
近頃この言葉が気になったので、辞典を見ると「自分以外の人」「他の人」「自分と血の繋がりのない人」。更に「よそよそしい様子」「堅苦しくうちとけない様子」とも書かれています。
私は他人と自分は区別する、所謂自分以外の人。厳密に言えば女房も子供も自分以外の人です。そんなに考えると、自づと人格を尊重し合えると思うのです。  後に出てくる、「よそよそしい」「打ち解けない」の感情が土台となるから、言葉道理の他人となると思うのです。私の考え間違いでしょうか?
2002/10/11(Fri) 晴れ


[ ノーベル賞に思う ]
受賞のお二人には心よりお祝いを申し上げます、と共に深甚なる敬意を表したいと思います。  今日の日まで只一筋に研究に没頭せられた事に深い感銘を受けます。一人では出来ない、人の手も必要、お金も必要、それにまつわる苦労は一筋ではなかったと思います。その中を一念慣行せられた信念は、私達も学び取りたいものです。   それにも増して宇宙や私達の周りには素晴らしい幸せの「素材」が充満している、自然の恵みの素晴らしさ、  これを忘れてはなりません。 とにかく此の世は素晴らしい!
人生又しかり!!
2002/10/10(Thr) 晴れ

My Diary Version 1.21
[ 管理者:のりさん 著作:じゃわ 画像:牛飼い ]