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[ 判定から考える ]
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「物事を見きわめて定める」と書いてあります。 見わけるには基準となるもの即ちルールが有ります。 学校のクラブは教科ではありません、勉強と両立させながら、激しい練習に耐え、体力と物事に耐える力を養い、ルールを通じて人としてのルールを守る事を学ぶ、その為のクラブ活動ではないのでしょうか? 私の考え違いかな? 過日のサッカーの全国大会出場うんぬんの話から。何事も原点を見失わないようにしたいもの。
2002/12/19(Thr)
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[ 今年の漢字「帰」 ]
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理由の一つに「ノーベル賞の田中さんの謙虚さに日本古来の奥ゆかしさを思いだした」と言う原点回帰志向も挙げられている、 と有った。一歩進んで人間本来の魂えの回帰を願いたい。 「個」を大切にするあまりに生じた今の社会、あまりにも汚れがました。 「人の性は善なり」元々は「清浄無垢」なのが人の魂です。 帰りましょう原点に。
2002/12/14(Sat)
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[ ヒントと開発 ]
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ノーベル賞の受賞式の参加にイチャモンをつけた外国の学者があったと聞く。ヒントとは「疑問をとく手がかり」と訳されている、開発とは「利用されてないものをとり出して利用する」と有ります。 田中さんはヒントを創り出した。学者はそれを利用した。 今までは、開発した学者を褒めた、今はその元を生み出した人を褒めた。これが正論では? 昔から「理屈とトリモチは何処にでも付く」と言われる。
2002/12/11(Wed)
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[ 励み NO2 ]
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そうした事柄に深い考えも無く、安易に同調するとに問題が有ると思うんです。 或る意味では競うと言う事も無くては励みはありません、成長も有りません。偉いとか、あかん、と言うのとは違って、負けるか!と言う気力を持たせる事も大事です。 でないと、そのエレルギーのはけ場はどうなるでしょう? 今世上に見る様々な事柄はチョットした考え違いからの結果ではないでしょうか?「千里の道も一歩から」の譬えをよく考えたいものです。
2002/12/04(Wed)
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[ 励み NO 1 ]
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気力を充実させ頑張る事だと私は理解してます。 それには目的や目標と言うものが有るはずです。 平14, 12,1日の新聞の正論に、或る大学の教授が「子供に将来の目標、夢がないのはなぜか」と言う事で「過度の平等主義」にあると書かれていました。その一例として、運動会の順位のこと、成績の採点のことが上げられていました。私はそのことだけを云々するのでは有りませんが、考えねばならん事と思います。 つづく
2002/12/03(Tue)
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